ポテトとサルバドーラ

海外文学の読書感想文

『新編 不穏の書、断章』フェルナンド・ペソア

 

新編 不穏の書、断章 (平凡社ライブラリー)

新編 不穏の書、断章 (平凡社ライブラリー)

 

 

 全体を理解しようなんてことは、ほぼ不可能である。ただ、自分という人間の中で十分に熟している何らかの考えと、ペソアの言葉がぐっと接近する瞬間があり、その時自分にとっての意味が立ち現れる。ほとんど何のことを言っているのか分からない言葉の海の中で、その瞬間を今か今かと待っている。単なる苦痛のようだけれど、何度この本を閉じたとしても、また必ず戻っていくことになる。なぜならそこには自分にとって決定的に必要ななにかがあるという感覚があるからだ。

 

本書の前半部は本名で書かれた詩であり、後半部はペソアの異名ベルナルド・ソアレスによって書かれた日記のような断片的な文章が続く。

 

一人でいることの重要性を決して忘れたり、軽んじてはならない。そういったことを日常にかまけて人と親和しながら生きていると、うっかり忘れてしまうことがある。

 

詩人であることは私の野心ではない それはひとりでいようとする私のあり方にすぎない(p.19)

 

偉大であるためには 自分自身でなければならない なんであれ 誇張せず 排除しないこと(p.85)

 

芸術とは孤立である。芸術家はみな他人から孤立し、また他人に独りでいたいという欲望を与えなければならない(p.299)

 

モンテーニュのエセーでないが、凡庸な言葉で表現してしまえば、ただの一般論や安っぽい厭世になるような内容でも、ペソアの深く根を張った確信と洗練された言語感覚によって全く別ものとなる。

 

世界は何も感じない連中のものだ。実践的な人間であるための本質的条件は感受性の欠如であり、生き抜いてゆくための重要な長所は、行動を導くもの、つまり意志だ。行動を妨げるものが二つある。感受性と分析的思考だ。そして分析的思考とは結局のところ感受性をそなえた思考に他ならない。(中略)したがって行動するためには、他人の個性や彼らの喜びや苦しみを想像してはならない。感情移入してしまうと、動きはとまる。(中略)芸術は、行動が忘れねばならぬ感受性の逃げ道として役に立つのだ。芸術は出不精のシンデレラだが、そうせざるをえないのだ。(p.314)

 

初読では表面的なことにしか気がつかないものなので、数年後もし運命が私にこの本を再読させたら、その時何を感じるかが楽しみだ。きっと全く別のものを引き出すことだろう。