ポテトとサルバドーラ

海外文学の読書感想文

『長距離走者の孤独』アラン・シリトー

短編はそれほど好んで読まないけれど、古本屋でたまたま見つけ、タイトルは知っていたので「表題作だけでも読むか」と期待もせず買ったら、あっという間に全部読んでしまった。 

長距離走者の孤独 (新潮文庫)

長距離走者の孤独 (新潮文庫)

 

 8篇の全作を通じて「孤独」というテーマが漂う。具体的なストーリーの中に、登場人物たちのいかんともし難い(しばしば貧困の香りのする)悲しみや、それを内に秘めながらしたたかに生きていく姿が描かれる。

 

表題作「長距離走者の孤独」では、感化院に入れられた不良少年スミスがマラソンの練習に励み、皆の期待を背負って大会に出場する。しかし、ゴールの直前で走るのをやめ、自分が中指を突き立ててきた感化院のお偉方に「誠実とはどういうことであるか」を示す。

 

おれにもクロスカントリー長距離走者の孤独がどんなものかがわかってきた。おれに関する限り、時にどう感じまた他人が何と言って聞かせようが、この孤独感こそ世の中で唯一の誠実さであり現実であり、けっして変わることがないという実感とともに。(p.56)

 

スミスにとっての誠実さとは、自分自身の主義主張と行動を一致させ、その結果を受け入れて生きることである。

 

「もっと賢くやろうよ」と思う。ゴールしてしまえば、日々の感化院での現実的な待遇が改善するのだから。しかし、スミスは自らの「誠実さ」を優先する。そして、権力に繰り返し押しつぶされてボロボロになっていく。この姿勢に対して「若さ」と言って距離を置きたくなるのは、自分の毎日には、もはや生活哲学となった諦念があるからかも知れない。

 

他作については、「知能の遅れた」20代のフランキーと、彼の戦争ごっこの軍隊に入って幼年期を過ごした主人公の物語、「フランキー・ブラーの没落」が心に残る。

 

シリトーの物語には説得力のあるリアリティと、切実さを感じる。解説にもあるが、シリトーは彼の主人公たちと同じく労働者階級の出自で、自分も一人の工場労働者として生きた。これは、シリトーと同じく「怒れる若者たち」と呼ばれた文壇の一派の作家たちのほとんどがオックスフォードなど名門大学の出であったことと大きく異なっているという。

 

もう一回、最初からじっくり読みたい。