ポテトとサルバドーラ

海外文学の読書感想文

『旅路の果て』ジョン・バース

人は、やってしまったことをもって、やりたかったこととして責任を取らなければならない(p.161)

 

旅路の果て (白水Uブックス (62))

旅路の果て (白水Uブックス (62))

 

 

痺れた。ジョンバース、旅路の果て。こんなに面白いとは。

 

本作は「不倫」という現象をめぐって、「選択とは何か?」「自由とは何か?」を夫、妻、間夫(主人公)の三者間で執拗に議論していく、素晴らしく理屈っぽい不倫小説である。

 

主人公はジェイコブ・ホーナー(ジェイク)という英文法の大学講師であり、しばしばあらゆる選択が不可能になって心身が硬直状態に陥る「麻痺」を患っており、身分の定かでない謎の医者にかかっている。彼が突然陥る特徴的な症状に、「天気なし(空から天気が消滅するかのように、自分自身の心にどんな気分もなくなる状態)」というものがある。ジェイクとは、こんな風に捉えどころがなく、ウィットに富んだ、たまらなく魅力的な男である。「弁の立つバートルビー」とでも評したい。

 

ジェイクと同じ大学で働くタフガイ、ジョー・モーガン。彼は、「神」のように明晰で、自分自身の一貫した立場をどんな状況でも堅持して生きる。他人に興味を持つことのないジョーが、ジェイクに深い関心を抱いて自宅に招き、そこで彼の妻レニーと出会うところから、この三角関係は始まる。

 

レニーは、「自分が空っぽであるということを知っている数少ない女」であり、夫ジョーに強い憧れを抱いて、彼のように徹底的に一貫した自分の立場なり価値観なりを得て、その空白を満たそうとしている。夫婦の間では、お互いが対等であるということを陰に陽に表明しているものの、レニーの方は、自分を捻じ曲げてでもジョーに合わせて生きたいと願っている。

 

■弁解してはならない

ジョーは、レニーが、自分の家に家具が少ないこと(しかし自分たちは何不自由なく生活している)を、訪問した友人に詫びたという理由で殴る。なぜなら、他人と自分の価値体系は決して重なることはないのであり、相手と意見が違うことに関して弁解することは、自分の価値観や立場を固持して生きる上での危機であると感じたからである。

 

ぼくの倫理学では、およそ人間にできるせいぜいのことは自分の立場からそのまま出てくること。それを弁護しようなんて思ったり、まして他人にそれを受け入れてもらおうなんてする一般的理由は何もなくて、できることはただ一つ、その立場で動けということ、ほかには何もないんだから。ほかの人たちや団体なんかとは衝突するに決まってるんだ、それらのものは、それらの立場からは正しいんだから。だけどその立場はこちらの立場とは違うんだ。(p.69)

 

なあ、ジェイク、自分の倫理体系が一筋縄のものでなくなれば、破綻しないでいるためには、それだけ強くならなければならない。だから、客観的価値体系にサヨナラを言うときには、力をため、目を見開いていなければならないんだ、自力で立っているんだから。(p.71)

 

 

■実存は選択である―「やったこと」は、「したかったこと」

また、人間の選択についてのジョーの信念は以下の通りである。人間の行為とは常に、「したい」という欲望と、「したくない」という欲望を比較検討して、価値の多い方を選び取った結果であるという。

 

一人の人間の欲望の唯一の論証可能な指示索引(インデックス)はその人間の行動だよ、過去のことを問題にする限りね。つまり、ある男の行ったことは、その男の行いたいと欲したことなのだ(p.74)

 

プラス百とマイナス九十九を合わせるようなもんだな(中略)その結果はかろうじてプラスということだが、しかし、完全なプラスだ。そういう意味でもバカげているんだ、自分のやってしまったことを弁解して、ほんとはそんなことをしたくなかったんです、なんて言うのは。やりたいと欲したこと、それが最終的には、やったことなんだ。(p.74)

 

レニーはそんなジョーに強い憧れを抱き、「異常な自己消去(p.98)」をもって、彼の優秀な生徒たらんとする。他人に決して影響されずに、自分の立場なり価値観なりを強く維持できる人間となること、それが彼女の最も強く望んだことである。

 

ジョー(≒「理性」「存在」)に憧れるレニーは、ジェイク(≒「不合理」「非存在」)を自分の立場を持たない人間として忌み嫌い罵倒する。しかし、ジョーは、ジェイクを、自分とは異なる形でありながら、自分と互角の「第一級の精神」の持ち主と認める。そして、レニーに彼から刺激を受けて欲しいと望み、2人が定期的に話し合えるような機会をわざわざ作る。ある時、ジェイクはレニーに「君にも個性があるはずだ」と言う。

 

あなたはイミテーションのジョー・モーガンになるよりは本物のレニー・マクマホンになるほうがいいって言ってるけど、それは自明の理じゃないわよ、ジェイク。ぜんぜん違うな。ロマンチックなだけよ。わたしは第一級のレニー・マクマホンよりも、つたないジョー・モーガンになりたいの。プライドなんてどうでもいい。そんなユニークな個性なんてことも、絶対じゃないものの一つよ(p.92)

 

正直、なぜジョーがこんなにあなたと親しいのか、わからない。いままで誰にも興味なんかもっていなかった(中略)わたしが時々こわいと思うのは、いろいろな面であなたが完全にジョーと違っているわけじゃないってこと。あなた、彼にそっくりよ。同じ文句を聞いたことだってあるわ(中略)あなたは、いろいろ彼と同じ前提からものを始めるの(p.94)

 

「ねえ、わたし、ほんとにこわかった、あなたが、しばらくのあいだ。ジョーのほうがあなたより強いんだってこと、ほんとうは、そう思えないような時があったの。ジョーの論理であなたがつかまりそうになるとたん、あなたはもうそこには存在しないんですもの。もっと悪いことは、あなたの立場が崩れたときでも、ジョーが、ほんとはあなたに接触もしてないような気がした―あなたがどんな立場を取っても、そこには接触できるほどのあなたが存在しないんですもの」

「鋭いことを言うね」と言ってぼくは笑った。

「それよ、その調子よ」とぼくの言葉尻をつかまえて―「あなたの論理の支えになるものをジョーが取り払ってしまっても、あなたは笑うだけ」(p.99)

 

レニーとジェイクはある時、まったく「無意識的に」、性交に至る。その事実をレニーから聞かされた夫ジョーは、その時レニーは、そしてジェイクは、何をどう感じ、どのような思考回路を経てその行為に至ったのかについて究明したいと強く望む。

 

ジョーは、仕事を休んで3日3晩、まずはレニーと話し合い、次にジェイクの元に行って「きみの考えでは、なぜそんなことをやった?」と問い詰めるが、ジェイクは「わからない」「責任はとる」と繰り返す。しかし、それに対してジョーは以下のようにいう。

 

きみは、ぼくが十戒の七番目についての考えなんか知りたいと思うか?ぼくは姦通や欺瞞を罪として反対してるんじゃないぜ、ホーナー。(中略)事実と事実についての解釈を残らず聞きたいんだ(p.162)

 

夫ジョーはレニーに、今回のことを巡って、どんな考えや感情を持ってやったのかを問い詰めるも結局レニーから十全な説明を得ることはできない。そこでジョーは、嫌がるレニーに、それが理解できるまでジェイクと不倫を続けて、そのことを考えるように促すのである(なんということ!)。そうでなければ、この重要問題を彼女はすばやく抑制してしまうだろうと。

 

「わたし、そんなこと、恐ろしくて嫌だって言った。彼、そういう種類の反動こそ警戒しなければいけない、そういう反動は問題の所在を曖昧にするって言うの。わたしたちはほんとうに信じていることについてはできるだけ正直になり、安全だと思われること、信じたほうが無難だと思われることなどとごっちゃにしてはいけない。そうして、わたしたち、ほんとに信じていることに基づいて行動することによって、現在の位相がわかってくるって言うの。」

(中略)

「ああ、ほんと!あなたならどうする?」

「ぼくなら、彼に、地獄へ失せやがれ!と言ったね」(p.185)

 

実は、レニーの感じていることは、対立感情でも、いや、複雑でもなんでもないことがわかっている。これは単純素朴なこと(中略)、彼女がそれに『愛』だとか『忌み嫌い』だとか、普通名詞的なレッテルを貼ろうとしたところからのみ問題が生じるのだ。ものごとは、その間の差異を無視する場合にのみ、共通の単語によって表示することができる。だが、この、ものごとの間の差異こそ、感じるところ深い場合には、共通の単語では役に立たず、素人(しかし通は違う)をして逆説なり対立感情なりが生じたと思わせるものなのだ(p.210)

 

■「意見なし」の自分で生きること

自己維持のために一貫した立場を必要とするレニーは、自分と同じように空っぽであるにも関わらず融通無碍に生きることに何の咎も感じないジェイクに対して、強い嫉妬や羨望を感じたのではないか。そして、無意識的に、ジョーに対抗する手段として「ホーナー成分」のようなものを摂取したいと望んだのかも知れない。

 

完全な論理武装を行い、どんな他人の意見にも一切揺らがないような人間が配偶者であることは、相当に苦しいことだと思う。いつも自分が間違っていると非難されているような気分になる一方で、自分は相手にどんな影響も与えることができないのだから。

 

多分、彼女のやるべきことは、簡単に論破されそうな稚拙な意見であっても、自分に人間として備わっている最低限の感受性で察知した快/不快を、正誤以前の絶対的根拠として、「地獄へ失せやがれ!」と自分の夫に言うことだったように思う。まあ、そういった行為の主観的な難易度の高さは、本作を読めば痛いほど分かるのだが。

 

両極の意見の間でふらふらし、気分が常に移り変わり、挙句の果てに「天気なし」になったり、麻痺状態になるジェイクが、ジョーと同じように「第一級の精神の持ち主」である所以は何なのか。

 

それは、ジェイクが、自分自身の無軌道性を知り抜いており、それを一定程度言語によって説明可能な状態にまで客観的に理解しており、かつそのことを平静に全面的に受け入れているという事実である。ジェイクはジョーと対比的に描かれながらも、自分はどこまでも自分自身でしかいられず、それについて弁解することは生きる上での危機である、というジョーのスタンスを共有している。それが結果的に「完全なる無軌道」として確固たる一つの軌道をなしているのではないか。

 

ぼくたちは、まことに、めいめい一人であった。泣くものは自らの悲しみに泣くのだ(p.225)

 

彼等の旅路の果ては、ハッピーエンドではない。しかし、ここまで行き着いた不倫には、もはやスタンディングオベーションを送るほかない。