ポテトとサルバドーラ

海外文学の読書感想文

『夜の果てへの旅』セリーヌ

戦争をきっぱり否定するのさ、そいつに加担する連中も、なにもかも、そういう連中とも、戦争とも、僕はなんのかかり合いも持ちたくない。たとえ奴らが七億九千五百万人で、僕のほうは一人ぼっちでも、間違っているのは奴らのほうさ(上巻p.105)

 

夜の果てへの旅〈上〉 (中公文庫)

夜の果てへの旅〈上〉 (中公文庫)

 
夜の果てへの旅〈下〉 (中公文庫)

夜の果てへの旅〈下〉 (中公文庫)

 

 

「かつて人間の口から放たれた最も激烈な、最も忍び難い叫び」、「全世界の欺瞞を呪詛し、その糾弾に生涯を賭けた」、「不遇と貧困のうちに歿し、その墓石には≪否(ノン)≫の一語だけが刻まれた」など、セリーヌを評する言葉には全て、何かとてつもなく暗いものを感じる。従軍経験から得た徹底的な反戦思想を持ち、第二次世界大戦時には、ユダヤ資本に戦争責任を求めて反ユダヤ主義の論陣を張った。戦後、セリーヌ国賊作家として投獄され、今でも作品の一部が本国フランスで発禁処分となっている。

 

『夜の果てへの旅』はセリーヌの半自伝的小説である。主人公バルダミュは、第一次世界大戦に従軍し、負傷する。退院後、フランスの植民地であったアフリカのある国に渡り、その後アメリカへ、そして最後にフランスに帰国し、医者になる。

 

当初セリーヌは、とにかく性格が悪くてしぶとい奴なんだろうと思っていたが、それは全く違った。彼はあまりにも繊細で、だからこそ繰り返される人間の悪に、永遠に慣れることができなかったのではないのかと思う。貧困と戦争に順化すれば不可視になっていく他人の不幸に、いつまでも胸を痛め続けてきたということだ。「善」をめぐる揺るがぬ視点があったからこそ、セリーヌにとって世界はいつも愚劣であり、呪詛すべきものだった。

 

訳者の生田耕作は、セリーヌは出来事をけっして客観的には描写せず、常に事件は、それが惹起する情感と分かちがたくとけ合って描き出されると指摘し、その文学的手法を「過敏症的リアリズム」と銘打った。セリーヌはそれをどれだけ自覚的にやっていたのだろうかと思うと心許ない。少なくとも、その過敏性そのものは操作可能なものではなかっただろうと思う。

 

バルダミュは20歳で初めて戦場に立った時、ドイツ兵がこちらに向かって発砲してくるのを見て、これは誤解だと咄嗟に考える。自分はドイツの学校に通っていたこともあるし、ドイツ人とはよくビールを飲んだし、恨みを買った覚えもないから、相手は自分のことが見えてないから打ってくるんだと。

 

戦争はようするにちんぷんかんぷんの最たるものだ。こんなものが長続きするわけがない(中略)いわば大がかりな、世界をあげての悪ふざけ(上巻p.16)

 

もう間違いない、犬より始末が悪いことに、奴には自分の死が想像できんのだ!同時に僕にはわかった、僕らの軍隊にはこいつのような奴が、勇敢な連中が、大勢いるのにちがいない、そして、お向かいの軍隊にも、たぶん同じだけ。(中略)こんな奴らといっしょでは、この地獄のばか騒ぎは永久に続きかねない…奴らがやめるわけがあろうか?人間世界のやりきれなさをこれほど痛切に感じたのは初めてだった(上巻p.18)

 

バルダミュは負傷して前線から戻った後に発狂し、隔離された軍の病院へ入院する。病院の隣は救貧院であり、そこに収容された老人たちが軍人たちの病室を毎日うろついている。その場面における悪態の、なんと鮮やかなこと。悪態もここまで研ぎ澄まされると、もはや立派な鑑賞の対象である。

 

彼らは部屋から部屋へ、陰口を虫歯のかけらと一緒に吐きちらしていくのだった、とうの立った噂話と中傷の切れっぱしを持ち廻って。どぶ池の底みたいな公認貧乏の中に閉じ込められて、この老朽労働者たちは永年の屈従生活の果てに魂にこびりついた糞を食らって生きているのだ。小便臭い共同病室の怠惰の中ですえきった無力な憎悪。老い衰えた最後のエネルギーを傾けて、彼らはひたすら、今生の名残にお互いを傷つけ合い、わずかに残された快楽と呼吸の中で互いに撃破し合うことに専念しているのだ(上巻p.144-145)

 

放浪の末、フランスに戻り、医者になった後も極貧生活は続く。普通は苦学して医者になれば、食い扶持に困ることはなさそうなものだが、バルダミュは患者から金を取れないのだ。

 

≪謝礼金!…≫奴らはそいつを相変わらずそう名付けていた。僕の同業者どもは。平気で!この言葉さえ持ち出せば、大義名分が成り立つみたいに…恥だ!(中略)貧乏人から、哀れな連中から百スウを受け取った奴は、永遠に汚らわしい野郎であることに変わりはない!(下巻p.49)

 

僕の取り柄は、結局、一つきりだったのだ、(中略)つまり、ほとんど無料に等しいということだった、そいつは、無料の医者というものは、病人とその家族の顔に泥を塗るものだ、たとえその家族がどれほど貧しかろうと(下巻p.65)

 

僕の場合は完全に眠れる日はもう二度と訪れそうにはなかった。いわば僕は信頼の習慣をなくしてしまったのだ、人間のあいだで心置きなく眠るためにぜひとも必要な、考えてみればとてつもなく大きな信頼を。それを、そういう無頓着を、わずかでも取りもどし、自分の不安を中和させ、愚鈍な幸せな落着きを取り戻すためには、少なくとも病気か、高熱か、具体的な災害が必要に思われた。何年間かを通じて、憶い出せる平穏な日といっては、高熱の風邪にかかった数日間ぐらいのものだ(下巻p.299)

 

セリーヌ反ユダヤ主義的作品は、現在でもフランスでは発禁となっているが、日本語の全集には収録されている。それらの作品は、内容的にはかなり乱暴で明らかにまずいものなのだが、結局セリーヌが言いたかったことは「戦争反対」という一貫した主張であり、ユダヤ人はいわばとばっちりを受けたという構図に見える。ナショナリズムは、分かりやすい敵を外部に作ることでひとつの民族集団における不満を抑え込み、その団結力を高める効能があるが、セリーヌは果たしてその輪のなかに含まれたことが一度でもあったのだろうか。

 

セリーヌほど、この人はひとりぼっちなんだという印象を強く持った作家はいない。