ポテトとサルバドーラ

海外文学の読書感想文

『マイケル・K』ジョン・マックスウェル・クッツェー

豊かな時間だった。『恥辱』で、加害者の孤独を描く冷たい文体に魅了されて以来、気になっていたクッツェーの代表作『マイケル・K』をようやく読了。読後感はまさに「平穏」のひとことに尽きる。 

マイケル・K (岩波文庫)

マイケル・K (岩波文庫)

 

 内戦中の南アフリカで、マイケル・Kという「頭の弱い」子どものような40代の主人公が、手押し車に母を乗せて、彼女の生まれ故郷の田舎を目指して旅をする。旅の途中で母が死んでからは、獣のような自給自足や、貧民キャンプへの収容など、過酷な条件の下での生活を送っていく。

 

マイケル・Kが、戦時の南アで、苛烈な暴力にさらされながら、あくまでも自分自身として生きていく様は、自由の所在は究極的には自分自身の中以外にはないことを気付かせる。どんなに身体を拘束しても、それとは逆に深い親愛を寄せても、彼の自由を奪うことは誰にもできない。

 

彼はまるで石だ。そもそも時というものが始まって以来、黙々と自分のことだけを心にかけてきた小石みたいだ。その小石がいま突然、拾い上げられ、でたらめに手から手へ放られていく。一個の小さな石。周囲のことなどほとんど気づかず、そのなかに、内部の生活に閉じこもっている。こんな施設もキャンプも病院も、どんなところも、石のようにやりすごす。戦争の内部を縫って。みずから生むこともなく、まだ生まれてもいない生き物。(p.209)

 

私たちはあまりにもおしゃべりで、自分自身のことが全然わからなくなっている。

 

 

追記

先日、知人にハーマン・メルヴィルの『バートルビー』を貸したのがきっかけで、バートルビーについてなんとなく調べていたところ、マイケル・Kとバートルビーの類似性への指摘を見つけて、なるほどと納得した。日陰(バートルビー)と日向(マイケル・K)ぐらい正反対のイメージの物語だけれど、確かに似ている。