ポテトとサルバドーラ

海外文学の読書感想文

『勝手に生きろ!』チャールズ・ブコウスキー

私の中には、とにかく真面目に、向上心を持つように方向付ける装置が内蔵されており、それがあまりにも自然な状態なので、そういったシステムを抱え込まないことの「軽さ」について想像するのが難しい。

 

ブコウスキーの仕事や人生に対する態度は、それとほとんど対極に近い場所にあって、読んでいて感心する。こんなにも軽い身体、軽い思考。

 

勝手に生きろ! (河出文庫)

勝手に生きろ! (河出文庫)

 

 

 『勝手に生きろ!』は、ブコウスキー20代を描いたとされる作品で、主人公のチナスキーは、酒と女とギャンブルに浸り、小説を書いては編集者に送る生活をしている。カネがないから仕事も時々してみるが、なにしろ「ただ仕事をするだけではなく、その仕事に興味を持ち、しかも情熱を持ってこなさなきゃならないと知ったのは、その時が初めてだった(p.14)」という有様で、業務中にサボるわ飲むわでクビになっては職を転々としている。

 

要はほとんど何の生産性もない生活を送っているということなのだが、この主人公は、それでいて、むしろそれゆえに、なかなか魅力的な男である。それは、彼が「まるごとそこにいる」から。

 

「あんた、まるごとそこにいるのね」

「どういう意味?」

「だからさ、あんたみたいな人、会ったことないわよ」

「そう?」

「他の人は10パーセントか20パーセントしかいないの。あんたはまるごと、全部のあんたがそこにいるの。大きな違いよ」

「そうなのかなあ、わかんないよ」

「あんた女殺しよ、いくらでもものにできるわ」(pp.171‐172)

 

チナスキーの口から出る言葉は、本人の実存をいつも虚飾なく表現する。自分の感性と行動がこんなにも一致している人間もなかなかいない。

 

チナスキーは、どんな美女に言い寄られても自分が「なんかやだな」と思ったら誘いに乗らないし、酒浸りの「おばさん」でも「なんかいいな」と思ったら何度もその人の元に戻る。

 

多くの人は、自分の感じたことと、実際に取る行動をこうも合致させて生きていくことはできない。それは、そんな風に率直に生きたら面倒なことになるからで、だからチナスキーは失業し、アル中になり、逮捕され、シラミをうつされ、常に貧乏暮らしをしている。でも、この物語の情景にやたら晴天が似合うのは、チナスキーの屈強なユーモアと、「おれは作家になりたいんだ(p.211)」という欲望のシンプルさと自明性ゆえだろうか。

 

過去にも未来にも、もちろん他人にも拘泥せず率直に生きる様に、自分が選んでいる価値観が何かだったのか照射される思いだった。